★穏やかでなかった「小金井平和の日」質疑~市長の施政方針から~

2/24本会議二日目は、市長の「平成27年度施政方針」への質問から始まりました。

最初から市長の 「平和への認識」を問う質問が出され、それには「えぇっつ!」と、耳を伺う答弁がありました。これは黙っちゃいかんよね、予定していた内容は変更して質問 を行いました。しかし今だからこその平和問題。もっと言いたいことはたくさんあった!急な質問の場面に出くわしても、的確に質疑出来るようにスキルを磨いておかなくっちゃ!!ちょうど今日は、注文していた古賀茂明さんの 「国家の暴走」も届いたところ。これを読んでパワーを蓄えよう!!言い足らなかった部分も含めて、ご報告します。

初めに板倉議員から「小金井平和の日」に関連し、中東での人質、テロ事件への質疑がありました。市長は「テロには屈してはいけない。卑劣非道な行為、武力をもってしてでも時には抑えなければならない。力には力とは、まったくないとは言えない。」などと述べました。

また慰安婦問題に関して、「強制連行があったのか、わからない部分がある。戦争の悲惨さ、日本人のやってきたことはきちっと伝えなければならない。過度に自虐的にならないで頂きたい。日本人は素晴らしいと子どもたちに引き継がなければならない。」と述べています。そしてアウシュビッツ収容所に行った時の経験から、「ドイツの若者や子ども達も来ていた。過去の出来事は踏まえることは必要。しかし必要以上に自虐的にならないで頂きたい。」と、「自虐的」と二度も使ったことは、本当に驚きました。これは聞き捨てならないことです。

「基本的に自分は平和主義者」と言われる市長です。テロや脅しに屈してはならない事は当然です。しかし「力には力」の思想は危険です。

「これまで日本が、イスラム諸国などでのボランティア活動などで、テロの標的にはならなかったことはどう考えるか。国境なき医師団の、中村哲医師も、憲法九条があるから、これまで日本人は守られてきた、と言っている。繰り返さないためには踏まえる必要があるが、これをどう考えるか。」と市長に迫りました。

市長はこれに対しては「卑劣な行為。到底理解できない。大変な問題だと問題意識を持っている。何が原因かは答えようがない。」と述べました。

又、「反省は必要だと言われた。では自虐的とは何を指すのか。」という私の質問には、

「過去に起こったことは起こったことだが、戦後の人がほとんど。自分の国を国民を批判することは果たしていいのか。若者や子どもには日本国や日本人を愛し尊敬するようであって欲しい。」

私はこれに対して「子どもたちが日本、自分の国を愛する子ども達であってほしいということは同感。日の丸もデザイン的には美しいと思う。しかし国歌や国旗に対しては様々な思いがわいてくることは別。批判しあうのではなく、違いがある中で話あう場があることが大事。」と述べました。

この質問は、前段の市長発言に触発されて急に行ったもの。議場でのこのような展開は、かなり緊迫感があったと思います。市長はご自分を「平和主義」と言われるが、だれも自分は「戦争主義」という人はいないでしょう。

しかし結局「自虐的」が何かは答えなかったし、「事実は踏まえる必要がある」こととの矛盾も、追及しきれず無念でありました!また国家や国旗についても、郷土を愛し、日の丸を美しいと思うことも、抗議の気持ちを持つことも、それぞれ本来は個人の心の問題であり自由なものです。それを強制したり処罰することには断固として抗議すると、3月の予算委員会などでは改めて言いたいと思っています。

施政方針にもあった「冒険遊び場」については、改めてご報告します。

いいことも報告しなくっちゃね。