この企画は、1999年のJCO臨界事故当時、東海村の小学生のお母さんだった女性が、今度こそは東海村で原発を稼働させてはいけないとの強い思いから、厳しい条件の中仲間を広げて実現させたものです
。私は国立ネットの仲間からこの話を聞いた時、東海村の彼女たちや村上村長を応援したいと強く思いました。それは、私もあの臨界事故当時、同じように子育てする母だったのに、あの恐ろしい事故を見過ごしてしまった。結果的に他人事にしてしまった、との忸怩たる思いがあるからです。同じ時代に、住む場所が違うだけで、子どもを放射能被ばくの恐怖から守る事が出来なかったと、苦しむ母たちがいた。その痛み、心の底に沈んだ塊は消えないと言います。
あの事故の被害者は3人、うち2人は亡くなられたが、他の健康被害はなしと報告されました。しかし放射線量が確認された人は663人、今でも原因不明の皮膚病やPTSDなど様々な症状に苦しむ方がおられるそうです。しかし科学技術省もJCOも、因果関係を証明しない限り健康被害とは認めず、保証もしなくてよいと決めているのです。
東海村は東京から一番近い原発のある自治体です。村の経済も、歳入の5割が原子力によるもの。複雑に利害関係も絡むと言います。しかし、「今後は原子力関係の研究分野に特化し、サイエンスによるまちづくりを考える。そこから関連産業も生み出す。」村上村長の原発に頼らない街づくり構想は強靭でしなやかです。
魅力的な村上村長さんと東海村の女性たち。もっともっとお話を伺いたかったです。東海村の経験と思いは、福島にもつながり、エネルギーシフトを図る私たちの暮らしともつながります。次回は是非、東海第2原発も訪れたいと思います。皆さんもご一緒しませんか!